滋賀県・大津市で開催された、全国教育研究集会 の 数学教育分科会の共同研究者をして

きました。

 

 いま、京都駅に居る。JR奈良線のホームは、新幹線のホームの下のようなところであった。

高校生の時、京都・奈良の修学旅行で、自分たちで経路を考えて、泊まったり夕食だけは、学校

が準備するという、班行動の先駆けみたいな経験をしたけど、その前に、物理の先生か、関西鉄道

事情というガイダンスをしてくれた。関西は、私鉄が発達していて、特に京都・奈良の間は、

近鉄が便利。JRは時として、電化されてなかったり、単線だったりして、本数が少なく不便。

そんなことを説明してもらったことを思いだした。

 その決して勧められなかった、線のホームが、新幹線の下にある。

 

 こんな書き出しをしてみたくなったのは、新幹線の中で、司馬遼太郎の『街道

をゆく』40 「台湾紀行」を読んでいたからだ。あの文体は読んでいるとうつる。

 

ちなみに、JR奈良線の電化は、Wikipediaによると198410月だそうだ。

私は1970年代の高校生だから、この電化には間に合わず、当時は気動車で

運行されていたことになる。

 ところで、199910月から、2005年4月まで、三重大学教育学部助教授

をしていた。そこの附属小学校から、津城址である市役所方面に歩くと鉄道

の上をまたぐ陸橋があるけど、そこから見える線路は3組(レールは6本)。

軌間が狭く単線で電線が付いてない方が、紀勢本線というJR。軌間が普通に見

える電線付きの複線が、近畿日本鉄道名古屋線。このJRと近鉄が並走する

光景は、高校生当時に聞いたガイダンスそのものだった。

 もっとも、気動車と言ってもバカにはできなくて、名古屋・松阪間をJR

対抗すべく、途中伊勢鉄道というショートカットを使った、「快速みえ」を、

JRは走らせていた。

 

 司馬遼太郎は、確か『日本人を考える』という対談集だと思ったけど、

・日本の北側は、寒いので、その言葉は、「〜しちゃった」のような小さな

「っ」が多用される、息を使わない。それに対して、西の方は逆に息を使うと

言っている。確かに関東で「買って」という連用形の音便は、関西弁では

「こうて」になる。

 何でこんなこと連想したかというと、三重大学助教授当時よく使った駅、

津、は単音節の名前。駅に電車が入った時の駅員さんのアナウンスとかでは、

「つ、つです」ではなくて、「つー、つぅです」と息を使う。

 漢字一字で、単音節はさすがに、日本最短だろうけど、名古屋鉄道という

私鉄では、「国府」と2つの漢字で、「こ」と読ませる駅がある。なんか、

津の近くに住んでいた身としては、負けたと思った。

・司馬遼太郎のその本に、日本史での鉄の意義について触れたところがあっ

た。荒れ地を開墾する。室町時代に盛んになる。その土木作業には、鉄製の

農具が必要。それまでは、木製だったり、先だけに鉄を付けた木製の農具を

使っていた。

 では、どうやって日本人は鉄を入手したかというと、朝鮮半島からの

渡来人に多くを負っている。鉄は、銅や鉛などとは違って融点が高い。そこで

鉄を溶融するには、火力をより必要とする。東アジアの当時の鉄の作り方は

砂鉄を集めて、木炭で熱する。鉄を作るのに多くの木炭を必要とした。

 朝鮮半島で、一山を裸にすることで、炭を作り鉄を作る。そうして、朝鮮

半島のある地域の山をはげ山にしてしまい。炭焼き人は、木の生えた山を狙って

海を渡った。日本は朝鮮半島に比べて、雨量が多く、林の再生のピッチが速い

そうだ。かくして、刀鍛冶、陶器などの木炭を多用する産業が室町以降盛んに

なった。

 高校生のとき、歴史は苦手で、嫌いだったけど、こうした民族の文化や

産業がなぜ育つという知見は、視野が広がって面白いと思う。

 

 さて、私は、まだ京都駅に居る。新幹線のホームから降りて、新幹線から

在来線への改札には、奈良線とそのほかの線とに分かれている。その他の

線を選んだ。京都駅は初めてではない。

http://kks-el01.sakura.ne.jp/sot2010/rep2010821/index.htm

http://kks-el01.sakura.ne.jp/sot2011/rep-Jan30/kyoto.htm

http://kks-el01.sakura.ne.jp/sot2012/repY11/index.html

(さっき、Wikiの奈良線を調べたときに知ったのだけど、京都の伏見稲荷

の近くに「稲荷前」という奈良線の駅があるという。2010年当時はそんなこと

知らなかった。だからタクシーに乗った。)

しかし、京阪神の路線図は、あまりちゃんとは頭に入っていない。特に

東京近郊でも「宇都宮線」と東北本線の東京近郊部分をネーミングしている

ように、東海道本線の大阪〜京都間が、京都線だったり、大阪~神戸間が、

神戸線だったりする。きょうこれから乗ろうとしているのは、東海道本線

なのだが、京都以東なので「琵琶湖線」。

 ちなみに私鉄の阪急も、大阪に着くのは明らかだと、京都線、宝塚線、

神戸線と名前を付けている。

 ともあれ、改札口近くの駅員さんに聞こう。「石山とか瀬田方面は何番線

ですか?」と聞いたら、『2・3番線です。あちらへどうぞ』と指差してくれる。

そのホームに行って、先に来ている方に乗ろうとした。でも、2番線に来ている

電車に乗ろうとしていない人が3番線で待っていたりする。こっちに乗って

よいのだろうか。出発まで時間があるようだから、路線図をみた。

山科で、湖西線と琵琶湖線が分かれる。先に来ているのは湖西線、私が乗るべ

きなのは、琵琶湖線。湖西線は比較的新しい線。大阪から米原経由で、金沢へ

行く特急は「雷鳥」だったが、湖西線経由で金沢に行くのは「サンダーバード」

http://kks-el01.sakura.ne.jp/sot2011/rep-Jan30/kyoto.htm

にそんなことを書いたはず。結局、琵琶湖の東を走っていたのが西を走るように

なったわけ。

 無事、琵琶湖のちょっと東側めざして、石山に着いた。この日は会議の

あとで夜が遅かったけど、京阪の駅もあって快速が停まる駅だけあって、

タクシーは駅前に待っていた。「ロイヤルオークホテルまでお願いします」。

 

 いやあ、共同研究者ってのは、招待されたお客さんの扱いをして下さるので

この宿、素晴らしかったです。 写真はまとめて、こっち hotel-124.pdf

 

 

翌朝は、早目に起きて、会議の会場の琵琶湖ホテルを目指します。直接タクシーで行くのではなく、

ホテルからタクシーで石山へ行き、京阪の石山坂本線を使って、浜大津の1つ手前の駅で降りて、

浜大津方面へ歩いてみようと思いました。琵琶湖ホテルは、ちょうど駅と駅の真ん中。

 ホテルは、おひとりですねと確かめて、小型を頼んでくれました。これがMKタクシー。初乗り

500円台で安かったです。京阪石山の前に芭蕉さんの銅像がありました。

 

 

土曜日の午前8時ごろなので、乗客は部活動の高校生。

 

どんな電車が来るのかなと楽しみに待つと、

京阪らしい、two tone coloured の電車がやってきました。淀屋橋から

京阪三条を目指す線の電車に比べると、車幅が狭いですけど。

 でも、全部がこの着色ではなくて、後で出てきますがラップ広告を

したものなどもありました。

 

おりたのは、島ノ関という駅。190円だったかな。1つ先の浜大津まで行くと230円になります。

駅に切符の自動販売機があり、Pasmoなども使えるようになりました。

 

琵琶湖ホテルから。左手が琵琶湖。右手の水は、プール。夏は賑わうのでしょう。この日は

125日。

 

 

さて、少しは研究集会の様子を。

 

 

日曜日(126)に会が終わったので、帰路につきます。歩いて浜大津駅へ。

 

この浜大津は、京阪電気鉄道の京津線の終点であるとともに、石山坂本線の駅でもあります。

そして、東京池袋からの高速バスもあり、琵琶湖のフェリーの港でもある。でも、京阪

のホームは、1番線と2番線のみ。上は、坂本方面、下の写真は、石山寺方面。

 

 

1番線は、坂本方面と、京都方面とが使います。

私は、京都方面。京阪山科まで乗るので、これには乗りません。

 

しばらくして2番線にも入線がありました。

 

乗車目標を見てみましょう。

 

一両片側あたり3ドアの車両と2ドアの車両とがあるようです。

 

こっちが、石山坂本線。ちなみに、この路線の名前、昔、石山坂電鉄とかいう、小さな

会社を比較的大きな京阪が吸収したのかなと、思っていましたが、単に終点の駅名から

2文字とって並べただけなんですね。「本線」ってわけではないようです。

 ちなみに、京津線は、京都と大津とを結ぶと言う意味ですが、「ケイシンセン」と

読みます。そう言えば、京阪も「ケイハン」ですね。

 

こっちは、2番線の乗車目標。1種類しかありません。でも、

 

こんな電車が入っていきました。京都方面からの電車です。1人掛け・2人掛け

の座席の間に通路がある、ちょっとかっこいいデザインの車両が両端にあって

真ん中のものは、ロングシート主体の、収容重視のデザインでした。

脱線を戻します、つまり降車ホームとして、2番線、京都方面行きのホームと

して1番線を使うのです。1番線について1番線から出てもいいじゃないかと

思うかもしれませんが、引き返すには、運転士さんが端から端まで歩かないと

なりませんから、進行方向を変えるには、そのための時間が掛かります。その間、

京津線の電車がホームを占有してしまい、石山坂本線の電車が入線できないのです。

 そのために、ホームから石山寺方面の光景をもう一度みてみましょう。

 

 

こうして、石山坂本線が通れるようにして、京都市役所行きとなるのです。

 ちなみに坂本方面の光景は、この駅を出ると、次の駅までは、占有軌道ではない

路面電車の様相となります。でも、次の駅からは占有軌道でしょう。路面に

直接電車から出ることができると、切符の収受ができませんから。そうするなら、

バスのように車内で運賃の収受をすることになるでしょうから。

 京津線の車窓。面白かったです。横は琵琶湖疏水。山肌のすぐ近くを通るところ。

うなぎ屋さんが、予約してくれれば、次の電車でテイクアウトを持って帰れますとい

う看板があったり。

 でも、写真を撮らずに見るだけにしました。

 

京都で新幹線にのるときに、売店で、期間限定、この売店で200袋限定という、

私が弱い「限定品」。それも、豆大福ではなく、豆餅ですよ。関東では、直角三角形

の豆餅が、京都では丸いの?と、雑煮の餅の形の違いに共通する違いがあるのかと

買ってみましたが、やっぱりこれは、豆大福。確かに、原材料に「小豆」とありま

した。

 

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