MtFuji.htm (もどる) よだんです。
阿川弘之著『お早く御乗車願います』中公文庫(2011),(単行本は,中央公論社から1958年刊)
この,京都−敦賀−富山−直江津−越後湯沢−大宮−池袋 という大回りの片道切符旅行に,
この文庫本を持って行った。面白い本だったし,ぷらっとこだまで,京都へ向かう新幹線で読むと
格別面白かった。
私は,1957年生まれで,阿川さんは1959年に岩波から『きかんしゃ やえもん』(絵は岡部冬彦さん)
という絵本を出している。東海道新幹線がなかったころというと,いま(2012年)の学生さんには,
「昔」とひとからげにされかねないけど,私にとって,1964年10月1日に開業した東海道新幹線は,
父親の仕事(ある損害保険会社の大阪支店に3年間勤務していた)で兵庫県伊丹市に住んで居たのを
東京に戻ることになって,1964年の東海道線に乗るときには間に合わなかったことになる。
電車特急「こだま」は,在来線である狭軌の東海道本線大阪・東京間を,時速100kmを超える快速で,
6時間50分で結んだ。この時間は東京から大阪に行って,仕事をしてその日のうちに東京に戻る日帰り
出張を可能にした。その電車特急の架空車内放送が,p.67〜p.78に収められているが,これが書かれた
1957年10月の時点では「架空」であった。この夢の電車特急「こだま」の登場は,1958年11月を待た
なければならない。
まだ,蒸気機関車が活躍していた昭和30年(1955年)ごろのエッセイである。あとがきに,「この本
は,・・・宮脇俊三さんという,奇特な汽車気違いのお蔭で陽の目をみることになった・・・・感謝しています」
と中央公論社の編集者であった宮脇俊三さんの名が見える。そして,ユングフラウ鉄道というスイスの
私鉄を,「信越線の横川軽井沢間と同じアプト式である」(p.118)と記しているが,これが書かれた当時
から,横川・軽井沢間の碓井峠越えは,アプト式ではなくなり3重蓮の電気機関車を増結して走る時代,
そして長野新幹線がそれに代わり,在来線の信越本線としてのこの区間の鉄道がなくなるという,時代が
いくつも変わっている。
この他,東海道本線が東京−神戸間であるのは,神戸から航路で外国にいくコースとして考えられていた
こと(p.81)。「ひかり」,「のぞみ」は戦前の朝鮮鉄道の列車の愛称でもあることなど,知らなかったことを
いろいろと知ることができた。
できたばかりの小田急のロマンス・カーについて,「世界に出してそれ程ひけをとらないだけの近代的
な乗り物」(p.203)と評価しながら,車内放送のうるささに,「東横線の急行列車に乗ってご覧になるが
よい。やっぱり車掌はしゃべり続けで,『次は菊名,次は菊名,次は菊名でございます・・・』などとやって
いる。二つの大都会を結ぶ所要時間34分の急行電車に,乗換駅が来たからと言って,『お別れでございます』
と云って蛍の光でも放送しかねない,その馬鹿馬鹿しさ」(p.209)と忌憚ない。
余談ながら,昭和30年ごろと今とのギャップを楽しめた面白い本だったので,ご紹介まで。
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