20144

 

 春休みの時期に、電子メールだけじゃ伝わらないこともあるからと、卒業研究の新4年生と

2回会う機会を持ちました。その甲斐あって、論文の進度が進んだ2・3月でした。堅実なゼミ生に

恵まれたと思います。

 そのうち2回目は、桜の花が咲くかなという日程に設定しました。桜のタイミングはドンピシャ

でしたが、ああ、もうすぐ授業が始まっちゃいますねって、ため息つくような日でもありました。

 

                『踊るさんま御殿』の投稿者の体でってところでしょうか。。↑

 

 練馬区の、富士見台駅から、練馬駅までを千川通り沿いに歩き、途中、中村橋の高架北側の

レールを使ったモニュメント。刀削麺の店、練馬の通称≪Asian通り≫などによってみました。

いろいろな国のお料理が、その国出身の人が作っている店が多い街角です(駅前から、見ると

ミスドの横を入る)。池袋もチャイナ・タウンがありますが、副都心のそのまた衛星都市のような

性格が練馬駅の近くにあるのかもしれません。

ここは、台湾、香港、タイの屋台、タイのサラダバー付き、韓国、こっちは、シンガポール、

インド。あそこは、海外ってわけではないけど沖縄そば。ナポリという店もできてましたが、

最後に、デンマークというパン屋さんでオチを付けようとしたら、閉まってました。

後日よくみたら,貼り紙があって、「3月末日を以て閉店しました」。つまり閉店した翌日だったのですね。まるでエープリル・フールです。さらにその後,「ご迷惑を掛けました。420日に再開します」という貼り紙を,419日にみました。明日は先日急逝された、故・志村豊志郎練馬区長の後任を決める選挙の日。

2014.4.19.記す)

 

 算数のゼミのくせに、深川、神保町、青山と見聞を広め、今回は練馬。関東ローム層で、水を

得るのが不便がところに、千川上水が引かれた江戸時代。また距離の遠さから葉菜ではなく根菜を

提供していたこと。武蔵野鉄道(現在の西武鉄道)が通じて、石材・木材を商う店。戦後、特に

昭和30年以降、爆発的に増える東京の人口をアパートや宅地として受け入れていく土地がら。

水道の浄水場が新宿にあったので、昭和50年代に村山浄水場に移るまでは、上水道が無かった

ところです。

 東京は、江戸時代にも大火が3回あり、江戸から明治への時代の変動。関東大震災。

太平洋戦争の空襲、戦後の人口の爆発的増大。そんな歴史の地層が、地域の中にそれぞれの

特色を持ちながら、蓄積されています。小学校の特に社会科では、そんな地域への親しみが

大切なように思っています。

 

 刀削麺。ここでのお勧めは、野菜(ゴマ味)、鳥肉入り(白醤油?)、坦々。そこで、3種を注文して

見てから決める? と言ったら、品が来て、みてからあみだくじを作る人たちでした。じゃあ、

あみだをする順をジャンケンしましょうとまで…。

 

小チャーハン、ミニ焼肉丼、ミニ麻婆丼のどれかが付きますが、それは来た組み合わせのままにしました。

麻婆丼と担担麺の組み合わせではなかったので、よかったです。

 

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