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2012.3.26.
3月26日(月):
きょうは,暖かくなるので,花粉に注意との天気予報でしたが,でも実際は日陰にいくと,風が冷たく
感じられる日になりました。でも,この日も雨は降らなかったので,天気に恵まれたと思います。
13日の第1回のツアー も含めて,今回のツアーは,なぜか50音順にすると後ろになりそうな
名前の人が多くなりました。なぜかって,もちろん偶然ですけどね。
きょうは,卒研算数のTCさん,TNさん。そして卒研図工からTMさんの応援を得ました。
ちなみに,第1回のおふたりは,MKさん,YMさん。
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はい,例の東京スカイツリーを遠くにみる,スナップショットです。 でも,TCさんの自宅からの方が近くにスカイツリーが見えるらしいけど。 それと街の看板をみて,「わたしの名前が書いてあるとドキッとしますね・・・」。確か,去年の9月にも同じことを言った参加者さんが居ました。 |
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この3人のうちの誰かは内緒にしますけど, 東日本大震災で,郷里に帰るのが大変で成人式の写真をまだ撮っていない。そこで,お母さんは,「劣化しないうちに,早く撮っちゃいなさい」,『ウ〜ム,2回目の成人式迎えちゃった人には言われたくないわぁ』と,楽しい会話をされたとのこと。 仲良しの母娘ですね。 こっちは,下の子が昭和63年生まれですから,もうそんな時期は過ぎちゃってますけどね。ちょっぴり歳とったなぁを思ったツアーでした。 |
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「ごんぎつね」の資料に興味を持った人,台湾の算数の教科書に興味を持った人,分数を中心に見ていた人などなど,さまざまでした。 教科書図書館の場所を実際に行ってみる事で示すという目的ですから,あまり長くは居れませんでした。でも,ここならずっと居ても面白いよねという感想を,昼食の無国籍バイキングの店で聞きました。 ←(私の盛り方) 左上は,たぬきうどん |
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バランスの良い盛り付けですね。このパン外見はサツマイモだよねと,女子3人は盛り上がったりしていました。 他にも,(誰かは内緒ですが)妹のカレシから漫画を借りて読んで,まだ読んでいない妹にその感動を伝えるのはと悩んだ話とか。。 |
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こちらも栄養学的バランスを感じさせます。 フライはサーモン。タルタルソースを付けていただきます。 後で近江屋洋菓子店で聞いたのですが,実は(誰かは内緒)さんの妹さんはパティシエの卵で・・・ なぜか,この日は妹話が飛び交う日です。 |
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こちらは,五穀米がポイントかな。 初等のC先生は,学習指導案にその人の人柄が出ると言われてましたが。 それぞれにバランスを感じた盛り付けでした。もちろんデザートもこれを食べてから取りに行きました。 今回のツアー。初めての出来事が起こりました。 ツアーの最後に寄る近江屋洋菓子店。いつもはドリンクバーだけをいただくという,あまり良いお客とは言えそうにない行いをしていましたが,左下の証拠写真のように! ここの食べ物の方は自腹でねと私はドリンクバーのお代を支払ったのですが・・・ |
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先生って,どうやってこういったお店を知られたのですか?/お,TMさん,聞き上手ですね。 父親がこの近くの損保に勤めていたので,小学生のときに職場見学みたいな感じで,遊びにきたときに,ホットチョコレート(要するにココアのことだけど)を飲んだことがあるんだ。 それを聞いていた,コーヒーが苦手なMCさんが,ホットチョコレートにチャレンジされていました。 自分だけのときにはあまり入らないけど,こうしたツアーのときには良いでしょ? |
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このツアーはうちの大学に勤めて2年目からしているけど,いろいろコースを変えたりしていて,確かここらにあったはずと記憶やネットで見つけたわけだね。それと,この店(神田店)と同じ外見の店が,東大の赤門の近くに本郷店としてあって。どっちがどっちだか忘れちゃったけど,一方がバイムクーヘンが得意で,他方はアップルパイが得意。 じゃあ、買ってきますねと3人がショーケースに。そのうち2人が買ってきたのがアップルパイ。確かにいまこの店にはバウムクーヘンはありませんでした。名推理です。 |
(*)アップルパイの写真をクリックしてみてください。 |
このあと,実は*時からバイトがあって・・・といまどきの学生さん忙しい。で,そのバイトって?なんと,飲食店でのものでした。 それを聞いていたら,お勧めしませんでしたけど。ま,自己責任でお願いします。 確かに素直でシンプルな美味しさのアップルパイですけどネ。 ここのお店はホームページ(*)持っていて,何月からリンゴは(品種名)が美味しくなりますと,旬な品種を選んでアップルパイを作るということとか記されています。 |
参加した学生さんの感想です。
=====(T.C.さん)==============================
図書館ツアーがどのようなものか詳しく知らなかったので、正直あまり楽しみでは
なかったのですが、当日は想像していたよりも100倍楽しかったです!
まず図書館に着くまでの移動時間に先生が電車の路線や駅名の由来について
いろいろお話して下さり、都民である私が知らないことばかりだったので、
とても勉強になりました(笑)。図書館では時間があまりなかったため、ゆっくり
見ることができなかったのが残念でした。なので,また機会があったら行って
みたいと思います。自分が小学生の時に使っていた教科書を見ることができたし、
数十年前の日本の教科書や他国で使われている教科書も見ることができて、
とても参考になりました。
私は算数の教科書をずっとみていたのですが、(先生に昼食のときにお話ししま
したが)昔の教科書は問題文が長いと思いました。図や数式で説明できるところ
が長い文章で書かれていて、とても読みにくかったし、また練習問題の量が少な
いと思いました。今の教科書は例題を1つ学習するごとに練習問題が掲載されて
いるけれど、昔の教科書は1つの章(単元)を学んで章末問題がついているだけで、
演習時間量が短いなと思いました。また今の教科書は子供が内容に興味をもち楽
しく勉強ができるように目次や単元の最初の導入ページ・まとめ・ヒントなどの
吹き出しなど工夫されている部分がたくさんありますが、昔の教科書は挿絵も少
ないし、ただ問題と説明が書かれているだけで、つまらないと思いました。この
ような点から教科書はより充実した内容で分かりやすく・楽しく勉強できるよう
に日々改良されているんだなと思いました。
また神保町の古本屋さん巡りではいろいろな種類の本を見ることができて
楽しかったです。昼食の際に先生が本を読めない人についてのお話がありましたが、
私も本を読むことが苦手(というより雑誌や新聞などの活字を読むこともあまり好き
ではない)なので、これをきっかけに本を読むよう努力しようと思いました(笑)。
児童書がたくさん置いてあった本屋さんは、いつか子供ができたら連れて行って
あげたいと思いました。本当に参加して良かったです!
今回参加できなかった新3年生にも秋のツアーではぜひ参加してもらえたらと思
います。
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1月に全国的な規模の研究会で沖縄・宮古島の若い先生にお目にかかり,その会が
面白くて勉強になったとのお話を伺いました。3月の研究会にもと,周りの皆で
お誘いしたら,沖縄本島への転勤でお忙しい中,来て下さいました。「このごろの
若い人は,研究会に誘っても来てくれないとよく聞きます。私の周りもそうだけど,
この会で得た具体的な教具とかプリントとか見せて誘ってみようと思います・・・」と
3月の会では100人以上いる参加者の前でスピーチして下さいました。
なぜか,そんなことを思いだしました。新3年生に是非是非勧めてあげてくださ
いネ。
=====(T.N.さん)===============================================
先日の教科書図書館ツアー,とても楽しかったです。
沢山の教科書の存在を知り、日本の教科書の歴史を感じました。
神保町も自分一人ではなかなか行けなかったのでどんな街なのか
知ることもできたし歩き方も少し分かりました。
先生がしてくれた歴史の話も面白くて街の様々な見方があると
いうことも感じながら散策できました。先生にとってとても
愛着のある街だというのも分かりました。
今回のツアーを機にまた遊びにいってみようと思います。
ツアーが予想以上に楽しくて参加してよかったと思いました。
ありがとうございました!!
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愛着のある街ですって。良いこというね。そうだね,そんな感じするね。
歩くと,ちょっとずつ前に見えなかったところが見える深まりみたいなもの
があって,その見えてきた蓄積のようなものが,愛着になるんだろうなって
思った。
そう言えば,話損ねた歴史の話し。
Q: 神田山を削った土砂は,どこへ持って行ったのでしょう。
答えは,下のながい脱線話の後です。
でも,こんなこと言うと,私が過ごしたことにある他の街が拗ねそうです
ね。中学1年生から,中高の6年間と,教師としての13年間通った江古田の
街も,そりゃあ愛着があります。下北沢と並ぶような学生街ですから,ここを
ネタにした小説とか漫画とかありそうですね。線路の北には,日大芸術学部,
武蔵野音楽大学。そして南には武蔵があります。だけど,旧制武蔵高等学校が
できた大正11年(1922年:関東大震災の起こった年は1923年)当時は,
周囲にあったのは,武蔵野鉄道(いまの西武池袋線)江古田駅と,
東京市中野療養所(結核の病棟があった)しかなかったのとこと。
東武鉄道の社長さんが理事長するような学校が,ライバル西武の駅の
ところに学校を作っているのは,昭和の東京の私鉄の歴史を詳しく
知らないと(知ってもかな?)わからないことだけど,ともあれ,
この時期は何もなかったそうな。だいたい映画『となりのトトロ』に
出てくるメイのお母さんが入院している病院(西武線のもっと奥の,
所沢の郊外がモデルと言われていますね)とか,広大な面積を持つ
土地が必要な学校とかは,人があまり住んで居なさそうなところに
作るのだけど,1920年代はそうだったらしい。
ところが,1960年ころ以降は戦後の住宅難で西武線沿線が住宅地
としてどんどん開発されて,学生街を取り巻いて住宅街がぎっちりって
状態でした。ちょっぴり土の匂いがするけど,やっぱり都市部は都市部
で,昼の食事に街のいろいろな店に出没してってこともしてました。
都市部はそうしても顔と名前が一致しない匿名性があるのは,人見知り
をする(!?)私には,心地よいものです。
当時,軟式テニス部の顧問をしてたりして,育成会のテニス大会の
翌日に,とんかつ屋さんに入ってランチを頼もうとしたら,そこの
親父さんから,「先生,昨日はお世話になりました」って挨拶され
ちゃった。不覚にも知らなかったけど,その育成会のお世話を,とんかつ
屋の親父さんがやってくださって居た(確か会長さん)のですね。店の
格好と,コートでの格好と違うのだもの!
地域と学校の関係だけど,この不覚で,センセイって仕事の怖さを
感じました。いまでは江古田駅周辺は再開発で,当時の面影は薄れて
いるでしょう。こちらこそ,大変お世話になりました!
愛着から脱線しちゃった。
A: 江戸時代の初め。深川がまだ砂浜だったってことは言ったと思うけど
日比谷あたりが江戸前島という島になっていた。
それを陸続きにするべく,当時海だった今の
銀座あたりに持って行ったのです。ちなみに「築地」って駅もあるけど,
「地面を築いたところ」だよね。
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